2006年03月13日
Dr.平石日記/2006幕開けは亜細亜大学・箱根駅伝総合優勝!!
2006年は日本中の駅伝ファンが、みんな驚いた「第82回箱根駅伝/亜細亜大学総合優勝」で幕が開きました。とにかくうれしかった瞬間です。
箱根駅伝への挑戦はいつから始めたかはっきり憶えていないくらい、長い挑戦でした。最初はやはり亜細亜大学の選手が何人かコンディショニングで通院し始めました。やがてほとんどの部員が治療に訪れましたが、当時の大槻監督には最後まで面識がありませんでした。選手の自主性に任せた戦いが5,6年つづき、ついに村田キャプテンの時代にシード権を獲得したことを機に亜細亜を離れ、帝京大学陸上部にあの喜多監督が就任。彼から正式にチームドクターを要請され選手全員の健康管理とコンディショニングを始めました。
そのころから、箱根駅伝(以後、箱根)は人気競技となり沿道には毎年320万人以上のファンが熱い声援を送ってくださいました。山梨学院大の台頭や早稲田大学ニ瀬古監督の復帰や渡辺君らの悲劇の棄権、さらに地元神奈川大の躍進などで人気は一気に上がりました。そのため関東圏内の大学陸上部は競って予選会に出場。100校近くの予選会は1校15名では危険となり1校12名の参加、上位10名の成績合算方式に変わりました。10名を揃えるのがやっとの新参者帝京大はこの好機を活かし、チームドクター就任2年目で箱根初出場、「赤い旋風」を起こし、その3年後にはシード権獲得する足跡でした。しかしその後帝京大学はシード権は維持しましたが、低迷。原因は監督と選手の意思疎通、何でも自分で管理する喜多監督がコーチを育てられず、いつしかシード権落ち。監督自身は優しい人柄でしたが、実績もないOBたちのうるさい意見に挟まその苦労は大変だったと思います(平成17年5月末に喜多さんは突然監督解任)。毎年予選会からの挑戦は辛かったです。選手は短い2ヶ月間に2度のピークを作る必要があり、そこがシード権の有無の大きな違いでした。帝京10年間の蓄積は箱根の大きな勉強になりました。そしてシード権を取った亜細亜大学OBらがもう一度亜細亜大に戻ってほしいとクリニックを訪れたのは今から7年前。
私が帝京に移籍してから一度も箱根を走ってないほど低迷していました。私からの条件は大学に交渉して監督交代でした。彼らはOB会を動かしついに「岡田監督(前ニコニコドー監督、以後岡田)の就任」にこぎつけました。最初は帝京と亜細亜大のドクター掛け持ちでしたが、何年も箱根に出場していない大学には優秀な高校生は集まらず、岡田監督の苦労は大変なものだったと思います。
陸上部の学生は本当に真面目です。サッカー部や野球部の学生は多少遊んでも成績には大きく関与しません。しかし陸上部は1度でも合コンや羽目をはずすと不思議と成績は上がりません。それゆえ、選手同士は非常にコツコツ練習に励みます。寮長が、師走のまだ夜も明けない午前3時過ぎ、暗い道を一人黙々走る選手に「君は何区を走るんだ?」と声を掛けると「自分は付き添いです。今年は選ばれませんでした」と応えたそうです。以前に、陸上選手は一度遊びを憶えるとだめなんだと岡田は私に教えてくれました。それほど陸上、とくに駅伝や長距離はセンシティブなんです。昔、東京五輪マラソン銅メダルの円谷幸吉選手の「もう幸吉は走れません」とメキシコ大会を目前にした時に、遺書を残したあの事件でも競技に対する真摯な思いの表れなんです。
そんな心底真面目な彼らに、駅伝は必ず襷を繋ぐというまさにこれ以上の過酷な競技はあるでしょうか?今年も順大主将や駒大最速アンカーの悲壮なまでの戦いぶりには、まさに敵ながらあっぱれな走りでした。箱根はそれら心身すべてをチームにのしかかる激しい戦いなんです。それゆえ襷の重さが多くのファンの心を動かすのでしょう。
何度も挑戦しながらなかなか駒澤の背中も見えなかった亜細亜は、昨年の戦いからようやく感触を得てきました。初めての3位入賞の一昨年よりタイムは5分以上早かったのですが、結果は7位。しかし確実に選手は育っていました。8月の夏合宿では、例年と同じく1100Kmの走りこみを終了、帰京後もすぐに血液検査を施行。春から毎月のように選手の血液検査は繰りかえされ、データは岡田や小野コーチの元へ。今年も秋の出雲や伊勢の大学駅伝では ぱっとしない成績で、ほとんどどこからも注目されませんでした。しかし疲労からの回復やスタミナ・パワーの改善は大きな進歩でした。
とくに、夏前から選手に摂取していただいた小田原かまぼこの名門「小田原・鈴廣」さんが開発した魚肉からのプロテイン(FPP:魚肉ペプチド、マリーンサプリと称します)は、選手の肉体改造に大きな役割を示しました。疲労回復やパワー増強、動脈硬化などの予防に大きな力を発揮しました。若い選手に動脈硬化なんてと思われますが、足底筋膜炎など非常に細かい血管の故障は、このFPPでほとんど防げました。(FPPは現在、一般人の方々で臨床実験中です。高血圧や高脂血症の予防と、肉体改造に効果が期待出来ます)
また選手の栄養補給についての知識は徹底され、選手は個人で管理をほとんど出来るほどになっていました。寮の食事をまかなってくれるグリーンハウスのお姉さんたちももう、完全に家族。一人ひとりの体調や食欲などを考え、本当によく頑張ってくれました。少ない予算でも、たくさんのおかずを出してくれる毎日の食事はまさにおふくろの味だったことでしょう。
私の箱根は毎年元旦の夕方4時から始まります。
東京駅のすぐ横、富士屋ホテルに第1区と監督・マネージャー以下付き人ら5~6名が集合。そこから1区の選手のニンニク注射と、岡田監督の指示を聞いてさらに2・3区の藤沢・法華クラブ、4・5区が控える小田原ステーションホテルへと、順次ニンニク注射をしながら、選手の体調や監督から特別に指示の出た選手の足首や膝などを診察し、果たして明日20Km以上の道程を走りきれるかを判断し、一人ひとりについて東京の岡田監督へ報告。最終判断を監督がして、エントリーします!
緊張気味の選手もいれば、リラックスしてはしゃぐ選手もいます。付き人の彼らと一体感になって、先輩も後輩もありません。一種の興奮状態でみんなそれぞれの箱根を迎えます。
今年のキャプテンは、2区板倉君4年生でした。よくチームをまとめましたが、なにより彼が一番のブレーキだったのが幸いしたのか?みんなが板倉を泣かせるな!とレース当日さらに結束したからでしょう。彼は先天的に左手が指1本で、手を握ることが出来ませんでした。雪が舞う2区は寒い向かい風で、一気に体温は下がり、区間17位は可哀想なことをしました。日大サイモンも同じ、寒さで失速しました。3区の戸塚中継で彼を迎えた私は、ブレーキしたのすっかり忘れた素振りの板倉には、多少びっくりしましたが「先生、腹減った!」の一言に涙が出て、「そうかそうか、島守温かい肉まんとあんまん買って来いよ!」と小田原へ向かう車の中で、大声できつかった~!、とか寒かったですよ!と話す明るい板倉を見て現代っ子の様子を観ていました。チームにブレーキをかけた選手なら、もうその責任感の重さでそのまま寮に帰った時代とは違います。抜き返した選手には、ありがとう!これで恥かかなくって助かったよ~、とねぎらう姿に、彼のキャプテンスタイルを感じました。板倉でよかった!
結局往路6位でゴール。監督の計算よりたった18秒遅い記録。選手は自信を深め、翌日の復路を迎えました。
復路はまさに岡田監督の真骨頂!選手は数秒の誤差で、すべて区間を走りきり、まんまと総合優勝目指し、それぞれの箱根を走りきったのです。テレビやラジオでは、あの亜細亜が・・・を連発されましたが私たちは真剣に優勝を狙っていました。まさに若き信長や秀吉のように綿密な計画で走っていました。今年最高の出来を示したのが、全区間5Kmごとに配置された部員が、非常に正確に全選手のタイム・走りっぷり・前後の差を正確に監督車に報告し、それをもとに1Km3分何秒、2分55秒とペースを選手に指示出来た事が、反省会で最初に監督が誉めた一言でした。その指示がなければ、選手は不安と気象状況で、ペースを崩したことでしょう。木許のプレッシャーの中での冷静な戦い、菊池・小澤の負けん気と忠誠心、岡田のくせ、北條の隠れた能力、山下の爆発力、岡田直寛の冷静さなどすべて監督が知った上での作戦は見事なまでに的中していました。1年間寝食ともにした結果でしょうが、大変なことです。アンカー直寛の笑顔が大きくTVに映し出された時には、うれしくてうれしくて、涙でよく見えませんでした。
寒い朝、沿道の何時間も前から陣取って旗をつくり、応援をしてくれた数多くのサポーター。きっと誰から亜細亜大学と縁を持ち、毎年応援に来てくれる人たち・・・。そんなたくさんの人たちに優勝は最高のお礼でした。沿道230Kmはもちろん、全国の駅伝ファンの心に残るレースでした。
途中失速した順大・難波は、前日に高熱らしいと情報が入り、それでも出場した彼の心意気には驚きましたが、やはりスポーツは科学。無理すれば戦える箱根ではありません!冷静な判断はあの名将沢木総監督も狂わせたのでしょう。同じ順大今井君の山登りも、今後十年は破られない記録でした。
いつも日か、五輪マラソンであの今井君ですという解説が聞こえてくるようです。
そうそう、僕の患者兼教え子の帝京大OB中越くんが、そろそろ北京五輪を走れそうなところまで来ました。2区常連の彼は、箱根で鍛えたその足で天安門広場を最初の走ってくれそうです。みんな順調に育ってます。箱根はまさにひとつの峠、天下の剣は、若者たちをいまも鍛えてくれてます。
車で、あの曲がりくねった道を走ると、何十人もの選手の笑顔が思い出されます。1年間絶好調で迎えた4年の箱根、年末にC型肝炎が発見され(鍼灸の治療で感染)ついにぎりぎりで走れなかった原田(原田とは全区の往診が終わって僕の到着を待っていた元旦の深夜、寝静まった宿舎で悔し涙で彼と抱き合って泣きました。)や、1年生から連続出場していたのに4年の最後の箱根直前で、水疱瘡で泣いた馬鹿な佐藤、さぼりが得意の北島は、知らん顔して区間新を作った。卒業と同時にスパイクを脱いだ選手、いまもニューイヤーで一所懸命走っているたくさんの選手、そろそろ五輪マラソン代表に名前が上がる選手、名選手を育てた箱根には、勝ったチームにも負け続けるチームにもきっと涙、涙の埋もれていく話がきっとあるのでしょう。
しかし、どんなチームもあの二日間の夢を乗せて頑張っています。本当はとても辛いのに・・・・。
投稿者 hiraishi : 09:50 | コメント (14856)
2005年01月11日
「歌舞伎座の中で」
お正月も明けると歌舞伎座新春公演で、銀座は大賑わい。歌舞伎好き人間には今年は勘三郎襲名披露が始まり、たまらないシーズン開幕といったところ。
華やかな舞台と違って、今日は歌舞伎座の楽屋風景をお話しましょう。
正面入り口から左の昭和通りに面して駐車場の入り口の脇に楽屋入り口はあります。下足番のおじさんはどんな寒い日でも粋なはっぴを来て、軽く会釈してくれる。「お医者さん?」てな感じで、そのまま入んな!と手招きする。
すぐ右のカウンターに出入りを記す到着札みたいなものがあり、まあここにも伝統役者さんらの名前がずらり並ぶ。
廊下にはお祝い酒や胡蝶蘭の鉢が並びいっそう華やかさを増す。古い学校の校舎を思い出させるような木の廊下を進むと、小さな楽屋部屋がつづき20mほどで突き当たり。今年は正面に中村福助さん・松本幸四郎さんの楽屋が並ぶ。幸四郎さんの入り口は桜をあしらったのれんがかかり、楽屋は入り口・小部屋・大部屋の2DKタイプ。
2階の玉三郎さんのお部屋は座長らしく一団と大きく、十畳と四畳半にお風呂はついて、きれいに整頓されてさすがに気が通っています。
みなさん、にこにこ礼儀正しく、目上の方を「お兄さん」と呼び、小またでそさくさと歩く。無駄口も叩かず、笑いながらもせず部屋から部屋への移動はまるで舞台の歌舞伎そのもの。
建物がさすがにふるく、楽屋も古いので冷暖房が十分ではない。とくに冬はお一人が風邪をひくと、みんな仲良しなんでみんなに移る。まるで絵に描いたように次は誰かな?というようにみんな仲良しこよし。可哀想なようで、結構こっけい。
ただそこの空間にいるだけで、歌舞伎役者さんになったような気分になるのは伝統芸能のなせる業か、僕が単に歌舞伎好きなのか?
でも役者さんの仕事は、たぶん芸能人の中では一番大変な世界で、バラエティーの人たちが寒空で裸で演技したり、いじめ合うのも大変でしょうが(暮にはナインティーンナイン岡村くんも40度近くの高熱でも一日も休まず、仕事をやり通した)、しかし歌舞伎役者さんの苦労は並大抵のものではないでしょう。演技を憶え、せりふを憶え、仕来たりを身につけ、歌舞伎界の世界に生きる術を学び、それはそれは大変だと思う。
楽屋入りは毎朝10時、舞台がはねるのは夜9時ごろ。福助さんは新橋演舞場一舞台掛け持ち。化粧を落とし、また塗っての繰り返し。昼と夜の間にばったり楽屋に倒れこむ姿は全身全霊消耗している姿でしょう。
子役はもっと偉いかも。3歳くらいから幼稚園に通い、小学校の勉強や宿題をしながら、お父さんの演技を観て育つ。
福助さんの長男くんは流行り風邪でうなされながら、痛い注射をしてお腹の調子も悪いのに「学校へ行きたくない。塾に行きたくない。練習に行きたくない」なんてレベルではなく、彼しかいないという立場を小さい時から身について、あの体調の悪さで舞台の中央で1時間半黙って座りつづける役をこなす。9歳の男の子、文句ひとつ言わず・・・。幕間のわずかな時間に買ってもらったゲーム機で興じる姿は、そのへんの子供と変わらないんだけど。
でも元気な時は僕の助手をしてくれる。注射器やアンプルを往診鞄から探し出して、「はい、財前教授!」なんてテレビのシーンを真似て手渡す。他の楽屋に移動するときは「教授回診で〜す」といいながら、「白い巨頭」のテーマ音楽を歌っている。裕次郎の「弟」のシーンを口真似たり、可愛いのなんの、まさに蛙の子は蛙。
そんな中で貴重な感動を経験したのは、あの勘九郎さんのにんにく注射シーン。
幕が明いて、次の出番5分しかないときの「先生、僕にも注射してもらえる?」といつものように物静かに聞かれた。「もちろんですよ。今しましょうか?」「そうだね、していただこうか!」とうれしそう。
すぐに作った「清原スペシャル」(100個入りのニンニクプロ仕様)、楽屋の椅子に腰掛けた勘九郎さんは、じっと目をつむって静かに静かに、注射を受けた。臭い!とか、痛っ!とかまったくピクリとも動かず、ただじーっと目をつむって、注射を受けていた。静寂の5分間。沈黙の5分間。
「勘九郎さん、終わりました!」そう言葉を掛けるやいなや、すうっと立ち上がって、足を掏るようにそのまま舞台へ。すでに歌舞伎の世界へ入っていた名優勘九郎さん、
その存在感に久々、全身鳥肌がたった思いでした。
今年3月からいよいよ3年間の勘三郎襲名披露がスタートします。全国の歌舞伎ファンは必見の舞台がつづく。私も出来る限りの勘三郎一座の健康管理に全力を傾けます。
そんな僕ら下働きのスタッフでも血 沸き、気 踊る想いが「襲名披露」なんです。
あの尊敬する勘九郎さんがあの勘三郎さんが、私の大切な患者さんです。そして芝玩(しかん)さん、橋之介さん、福助さん、七之介さん、獅童さん・・・みんなが支えてます。
投稿者 hiraishi : 11:51 | コメント (17424) | トラックバック
2004年12月14日
トップスターの魅力
久しぶりに親友・AVEX紙徳君が風邪を引いてやってきた。彼はあの「浜崎あゆみ」の最初のマネージャーいわば彼女が絶頂のトップスターに上り詰める5年間をもっとも近くで見つめていた青年であった。
診療の合間にこんな話を切り出した。「ねえ、紙徳。あの浜崎あゆみがどうしてあそこまで上り詰めたのだろう?彼女が上り詰めた理由はなんだったの?」と尋ねた。
彼はしばらく考えてから「妥協しないことでしょうね。すべてに!!」こう答えた。
妥協をしなかった・・・!
例えば曲の校正、歌い方、ファッション、スタイル生活も仕事も、そして大きな飛躍の要因に松浦専務(当時)の存在と彼の先見の目、さらに松浦専務自身の努力を即座に挙げた。いろんなことがあったけどあゆちゃん自身が徹底して妥協せず何時になってもレコーディングもラウブもリハーサルも徹底して行ったことでしょうと懐かしげに答えた。
たしかにAVEXは浜崎あゆみに賭けた。一番優秀なスタッフを集中させ、宣伝も半端ではなかった。しかし時代を読んだ松浦君にあゆちゃんもスタッフも一心不乱に答えた。たしかに時々楽屋に往診するとその部屋の雰囲気はピーンと張り詰めて一種独特の緊張感があゆちゃんの楽屋にはあった。
以前、マイケルジャクソンやホイットニーフューストンの楽屋への往診もあったがあゆちゃんの楽屋の方が緊張感とさあやるぞ、といったスタッフ全員のやる気を感じたのは、決してお世辞ではない。そうか、人間徹底してやれば浜崎あゆみになれるんだ!!彼の言葉には懐かしさと紙徳の生きてきた自信さえ感じられた。あの日あの時松浦君もスタイリストもプロデューサーもコーラスもバンドもみんなそれぞれの中で必死に生きていたんだ。そういえば僕だってあゆちゃんの往診に大阪・花園ラグビー場から駆けつけたこともあったし、代々木体育館の中を走り回ったりもした。あっという間の7年間であった。そして今も彼女は歌いつづける。まさに現代の歌姫。
夕方アルフィーの高見澤さんがやって来た。先週血液検査をしたその結果を診に来た。
結果は本人もびっくりするほど元気。百点満点の検査であった。「カウントダウンコンサート連続7日間やっても出来るくらいの健康ですよ」そう伝たえるとうれしそうに笑って答えた。
そういえば最近疲れたといって、先週金曜にマッサージを受けていたTUBE前田君の血液結果も出ていたのでいっしょに比較するとこれまた二人とも完璧!!少し前田君のほうが食べすぎだけど二人とも完璧なほど若く元気バリバリ。そんな喜ぶ高見澤さんの姿や診察を受ける前田さん、そしてマッサージを受けているときの彼との会話を思い浮かべると共通の性格を知る。
それはみんな音楽が好きであること、仕事は徹底すること、妥協しない。TUBEのレコーディングは始まりは遅い時間だが、始まったら前田さんは妥協しない。1小節歌うのに30分繰り返すこともある。何度も曲を直すことすらある。CHAGE & ASKAもglobeも今までほんとうにたくさんのアーティストたちのレコーディングに付き合ってきた。時には夜が明けたこともあった。しかしトップアーティーストに上り詰めた彼らの特徴は、才能もチャンスも多少の差はあったが、みんな仕事に妥協していないことかもしれない。
単純なことだが、清原くんも松坂くんもいざ勝負のときに一切の妥協を許さない。小さなことも一切妥協しない、食事にしてもちょっとした縁起かつぎでもやっぱり妥協しない。だから血液も妥協しない。しっかり百点満点の血液検査を勝ち取る!
いまも毎日のようにスポーツ選手や歌手の卵たちや雛たちがクリニックにやってくる。
彼らの中に将来、輝くダイヤモンドの原石がきっと含まれているにちがいない。その原石からダイヤモンドへの輝きは自分自身への研磨。
昔、立川談志師匠が「努力なんてのは無能の人間がみる最後の夢さ・・」なんて酔っ払った席で巨人村田真一さんに話した。彼はズキーン!!といって笑いながら何度もその言葉の意味を心に繰り返していた。そしてゴールデンクラブ賞(最もその年優れた守備をした選手に送られる)を受賞した。やがて年俸1億円選手の仲間入りを果たした。まさに努力の人、妥協を許さない練習の賜物であった。
かれらに共通するもうひとつの大切なことがある。それは人の心のひだを感じられることである。うれしい、悲しい、淋しい、つらいそんな心のひだを感じて毎日を過ごしている。人のひだを感じることの大切さそれは僕はどんな世界でも大スターになる必須条件と感じる。その上に妥協しない強さが必要なんです。年の瀬、心模様を眺めながらそして自分の心をひだを折りながらそろそろ外来が出掛けます。
12月14日、今年もあとわずか元気に頑張ります。努力・努力、談志師匠にはとても届かぬ凡人ですが、恵まれていることはスタッフや心模様の分かる患者さんに囲まれていることかな・・・HAPPY!
投稿者 hiraishi : 10:32 | コメント (4266) | トラックバック
2004年11月25日
清原君、巨人残留決定の日
最近、食欲もなくめっきりやつれた清原君、家の前には新聞記者が暗闇の中にうろうろしどこからともなく視線を感じる毎日でした。
きっと亜希さんも日々のお買い物も不自由していると思い、このところ食事の材料ぐらいはと頻繁に差し入れしていました。
その日は、たまたま新潟・栃尾名物の油揚げを戴いたので、「昔、上杉謙信が戦場でいつも勝ち運をもってくる栃尾の油揚げを食べたそうな、・・番長にも食べさせよう」と前日湯河原で買い揃えた鯵の干物を添えてクリニックが終えたその足で自宅まで届けた。
ピンポーンの音にちょうど晩御飯支度の奥様がいつものようにエプロン姿で出てくる。
「なかなかお買い物も出来ないでしょ?」と聞くと、今日はついになんにも無くなっちゃんたんで思い切って行って来たのといつもの笑顔。
美味しそうという笑顔の向こうからいつにも増して笑顔が光る「実は、・・・」と中の番長を気にしながら「巨人に残れそう・・・!」と小声で教えてくれた。僕は思わず彼女の手を両手で握り締めうっすらと涙が浮かんだ。良かった!!
この1ヶ月、事実清原はまさに「ラスト・サムライ」と自分の事を称するほど討ち死に覚悟であった。2000本安打を放ったほどの名選手を巨人はまさに2、3年程度の選手の扱いであった。PL卒業時のドラフ事件(あえて事件と)、恋焦がれて入団した最初のFA年度、そして次のFAすべて巨人は清原和博という現代の一人のヒーローを、一選手としてそのたびに彼の存在をないがしろにしてきた。うそで固め、自分の都合のいいように周囲に圧力を掛け、平気で人を切ってきた。
正直、巨人に残れないときに清原君は球界を退団する覚悟は出来ていた。「今日の清原君はどうでしたか?何か話しませんでしたか?球団とは秘密に会ったのでしょうか?」毎日10本以上の取材の電話が入った。月曜の夜は名古屋への新幹線車中に全TV局とスポーツ新聞記者から電話が入った。夕方点滴をしたそうですが、様子は?明日のファン感謝デーには出場しますか?ずうーと対応しているうちに浜松まで行ってしまったほどであった。
その間、「蟻、象を噛む!」と言っていたころはまだまだ余裕があった。
やがて「今や戦いは対堀内から、対巨人、対読売、あの大読売に移った」などど人事のように皮肉ったりした。しかし巨人への思い、大好きな巨人で野球をしたい、単純に好きなチームで自分にも挑みたいと、まさに心は野球少年に戻っていた。
周囲の興味本位の追っかけや取材に食欲の無くし、「チームも決まらないでトレーニングなんか出来ませんよ」と嘆く彼は1週間で3Kgやつれた。実際にお知りも小さくなって、思わず僕が笑うと苦りきった顔をして答えた。
そして「ラスト・サムライ!」ですよ。あの最後の戦いの行く心境ですとも言っていた。
巨人に残れなければたとえ500号ホームランまであとわずかというこの時点で、彼はユニフォームを脱ぐのでは・・・と心配もしていた。事実今の体調、コンディションは近年絶好調で、体の具合も完璧といって良い。まだまだ2.3年球界で華々しく戦う自信はあるという。親友の和田アキ子さんにもまだまだやれる自信はあると話したそうだ。
同じ大阪出身の彼女のことは大変尊敬していて、若いころからずいぶんお世話になったのだろう、彼女が急病で大変なときも何とか往診して!と懇願してくるほど大切な存在である。そんなアッ子さんからも清、巨人に残れ!と何度も言われ残れないなら辞める、いわば討ち死に覚悟のぎりぎりの交渉であった。途中熱心に移籍を誘ってくれたORIX仰木監督にも事情を説明してきっぱり断った。
まさに筋を通した清原、侍のように頑なまでに筋を通す清原の姿にファンの怒りと声援は23日東京ドームで爆発した。堀内監督の挨拶はまったく聞こえないほどのブーイング。
そして鳴り止まない「清原コール!」熱狂的な僕の友人は300人引き連れて最後のチャンス、皇国の戦いこの一戦にありと言わんばかりにわざわざ徹夜して、ドーム前に番長軍の陣を張った。署名運動し、気勢を上げて一気に会場へ踊りこみずうっと清原!清原!と大の大人が大声でわめき続けた。その熱狂と大声援に球団関係者はとくにお偉い人たちはあまりのファン指示に驚いたに違いない。夜の一般ニュースにも取り上げられまさに清原軍の大勝利であった。たかが選手、たかがファンといったオーナーやフロントの安易な態度に、たじろぐ事もなく刀一本で戦いに挑んだ清原君のオーラは、衰退しつつある日本プロ野球界を救える唯一の武将かもしれない。
かって長嶋さんの軽快な言葉に一喜一憂したり、王さんの黙々と努力する真摯な態度に 尊敬の眼差しを送ったファンを無視してたり、選手からの絶大な信頼を集めた原監督の熱意を無視して、小さな言葉のあやを逆手にとって突然解雇する会社の姿勢にもうファンは飽き飽きしていた。そこに来て「負けたら来年は辞める!」と公言する無能な監督の自信の無さ開き直りにファンはただただ呆れて、じゃあ一生懸命応援する俺たちは何なのさ?という迷いの中に一人戦う清原にまさに男を感じた、皆が強い男を感じたと思う。
昨今自信のない人間が多いこの時代に、まざまざと生き様をさらす清原に來シーズンも 東京ドームは「キヨハラ!キヨハラ!」と大声援で、tonboの歌に乗って包まれることになりました。声援してくださった清原さんに代わってお礼申し上げます。
来年の宮崎キャンプにもにんにく注射を持って、番長の肉体改造を続行します!
投稿者 hiraishi : 09:10 | コメント (1441) | トラックバック
2004年11月19日
藤井寺球場
あさ、9時のANAで大阪・伊丹へ。普段はそこからいつも決まった運転手さんのハイヤーで市内に入りますが、昨日は初めての球団ということもあり、空港からリムジンバスであべの(天王寺)までのろのろと行った。
その朝、5時まで原稿を書いていた私は、高速道路の渋滞と見慣れた大阪の景色のためか、すぐに寝入ってしまった。やがて50分もかかったバスは天王寺駅前に到着。重い荷物を持ちながら、地下へ。
初めての近鉄あべの駅で言われたとおりに天王寺〜藤井寺まで準急で乗り継ぐ。
途中、石神君(楽天イーグルス)からいまどこですか?と電話が入る。約束の11時をとっくに過ぎ、僕はまだ電車の中・・・。
やがて車窓から見えてきた「藤井寺球場」、うわさには聞いていたが実にきたない、おらが街の野球場。駅前から歩いてもわずかな距離のスタジアムも時間を押しているためにタクシーで2分で到着。
チームが出来て最初のキャンプから全選手全コーチの血液検査を決めるのは本当にうれしい話。血液検査はいまやスポーツの上達、チーム作りにはかかせない重要な項目。
早速、地下の食堂ですぐに採血開始。今か今かと待っていた投手陣、こわがる選手。
みんな先月出来たばっかりの新チームなんで、お互いを呼ぶのもぎこちない雰囲気。
「高橋さん」なんちゃて、さん付けで呼んでました。しかし、中でも印象に残った選手ももちろんいる。運気の良さそうな顔をした選手、一度はテレビで観たかな?という選手、負けん気の強よそうな選手、そしてまだまだ自信無さげな選手。
しかし、選手はみんな真面目で野球しか知らない雰囲気であった。ちょうど10年前の日本ハム(白井・西崎・田中・田村・川野さんらがいたあのころ)のベンチの雰囲気であった。こんな優しい真面目な選手団で本当に勝てるのかな?こんなムードを思い出す。
そして田尾監督登場、もちろん初対面。いや〜真面目な優しい監督でした。プロ野球
ニュースや解説で理論派であることは重々承知していたが、まさに球界の紳士。赤坂・中国料理「ユーロン」の鈴木さんや駒沢大学・太田監督からの「体に気をつけて」「頑張れよ!」と預かったメッセージを伝えると、早東京の懐かしさを笑顔で受けてくれた。「いいよな〜、今が一番うまい時期だよな〜!」
採血とニンニク注射が終わって振り返ると、食堂にはお弁当やおにぎり、パンが机にたくさん並べてあった。
「ああ、ここにはたくさん食べ物があるぞ〜!食べていいかな?」「選手はみんな食べたのか?」と気使いながら、遠慮がちに手を伸ばす。
長嶋監督のように「いや〜、うまそうなパンだね〜!」美味しいところの真ん中だけ食べて行っちゃうのとはまるで反対。
心の隅々まで今年大騒動に巻き込まれた近鉄・ORIXの選手たちの傷ついた心を癒そうとする真摯な態度におもわず、「田尾さんが巨人の監督ならなあ・・」と本音を漏らす。今ごろ番長はなにしてるんだろう・・・。
夕方、やっと全選手の採血も終わり、最後は山下ヘッド・駒田バッティングコーチで終了。「結果はいつ出るの?」「来週月曜には・・」「選手には結果のいいところがあったら励ましてあげてね!」というあの大きな体の駒田さんの優しい心遣いに、楽天イーグルズには田尾イズムが十分浸透していました。
帰途は地元大阪初芝橋本高校野球部・竹野監督さんがわざわざ伊丹空港まで送って下さり、やっとのことで予定の便に飛び乗った。右手親指の腱鞘炎の痛みをさすりながら・・・。「いつの日か、杜の都・仙台で優勝パレードしたときには今日のあの薄暗い食堂の採血の日を想いだすことだろう・・・」
羽田空港から かっての近鉄の英雄「カズ山本」に電話した。「カズさんおれ、今日藤井寺に行ったよ。いや〜汚い球場だったよ。カズさんがここで10年も15年も野球やってたんだと思ったら、涙が出たよ!」と久しぶりに北九州に引っ込んだカズと話す。電話の向こうから相変わらずの大声で笑っている。
「見た?ロッカールーム?マッサージルーム?食堂?見た、ベンチ?トイレ?見た?きったないでしょう!!!」「いや〜噂には聞いてたけど凄いね。」
「あんなところで世間のことなんも知らずに野球ばっかやっとんたんよ〜!!」「近鉄バファローズなんて無くなって当然のチームというか会社だったんですよ」
「入り口、見た?あそこの小さなほったて小屋で2軍の契約更改してたんよ!」と、すっかり小倉弁に戻ったカズは元気そうに答えた。
あれがあいつの人生だったんだ。あそこでカズは必死に生きていたんだ。あんな小さな球場から、野武士軍団といわれた連中や、かってのマニエルが何本もホームランかっ飛ばしたか感慨無量の光景であった。
そしてあの熱い近鉄ファンの叫びもまさに本物であった。おれたちの街の野球チーム。
きっと勝って飲みに繰り出した選手たちを温かく包んで労をねぎらったことだろう。
やれ今夜は銀座だ、六本木だというどこかのチームとは所詮、年俸も暮らしも違ったのだろう。カズが現役時代「東京の飯は旨いなあ!」と
パクつく姿を思い出す。とつぜん首都高速の窓に映るお台場の夜景を観ながら
「カズ、お疲れさん!お前は偉かったなあ!」と涙をぬぐった。
投稿者 hiraishi : 17:15 | コメント (859) | トラックバック
2004年09月18日
2004・09・18日本プロ野球界初のスト突入の日。
9月22日、このところ東京は暑い日もまた曇り空の天気がめまぐるしく変わり、連休続きのせっかくの祝日も雨で泣きべそかく人もいるんじゃないかしら。
高速道路があまりに混んで17:25発帯広行きの最終便に乗り遅れた僕は、すぐに札幌便に切り替えて、千歳空港〜南千歳経由特急「とかち11号」で、深夜に帯広に入りました。
途中、トマムなどを経由する石勝線に乗るのは2度目。トンネルが多い単線ですが、夜になるとトンネルか外かまったく判らない状態です。それでも時折人家や国道を走るトラックの灯を見るとこんな山奥にも生活している人を思うと、その苦労が偲ばれます。
まあ、深夜あまりの人の多さにまっすぐ歩けない六本木の夜が異常なんでしょう。
久しぶりに晴れたここ帯広で1時から講演です。それまでに帯広名物「豚丼」をしっかり食べたいと思います。(先日長野・茅野のスーパーで「帯広名物豚丼ソース」を見つけました。
やあ、凄いですね、日本人総グルメ時代なんですね!)
最近はプロ野球のストや合併問題で大揺れの日本球界。そんな中で清原さんの500号本塁打への挑戦はまだまだ続いています。ただ、ペナントレース終盤追いかけるはずの巨人が堀内監督を中心にチーム一丸になってというムードがないのは、つらいところでしょう。
先日のスト突入決定の金曜日深夜、巨人球団だとった処置はグランド・ロッカー・選手の送迎バスなどすべての施設を使用することを禁止、いわばロックアウトの状態で練習を禁止しました。
たとえストといってもペナント終盤の大切な時期に選手は二日間も練習なしでいいものか?
ところが他の全11チームはストの大義をよく理解して、全チームグラウンドもロッカーもすべて使用可の処置に慌てた巨人は翌朝ミーティングの席でロックアウト中止、ユニフォーム以外は使用OKの通達。その慌てぶりに我が清原君、「みっともない!!」の大声の慟哭一言!怒りの練習ボイコットで、二日間一人で球団と戦う姿勢を現す!
そんな彼の行動に監督、例のごとく翌月曜日はスタメンはずし!
そして迎えた火曜日、清原君久しぶりの怒りの一発!こんな男義を感じさせる清原君がたくさんのファンを引き付ける魅力なんでしょう!まさに清原そのものを感じさせる一振りだったんです。
彼の心には500号ホームランの金字塔、まさにいつまでも力強く挑戦するのが本物のスポーツマン!またまた清原君に惚れた一週間でした。
そして翌日すかさず、「血液検査しようよ!」と、血を採る私は吸血鬼?早くホームラン血液のデータを見たいです。
室伏君の決勝試合開始6時間前の直前血液、結果はまさに血液も「金メダル!」完璧でした。
昨日国技館に現れた室伏君に、偶然相撲見物していた私の妻は挨拶したら、とってもうれしそうにチームメイトのアメリカ人選手も懐かしそうに握手したとの連絡あり。
今日は横浜国際で金メダル授与式があるそうな・・・。
ぜひこのページに室伏君の金メダルを載せましょう!
投稿者 hiraishi : 09:03 | コメント (2825)