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2005年01月30日

主治医としての歓び

29日、ホテルオークラで「十八代目勘三郎襲名披露パーティー」が絢爛豪華に開催。当のご本人が体調を崩し、土曜の午前中にクリニックにいらっしゃいました。原因は風邪ですから、大事に至らずに済みましたが、ちょうど診察室にいらっしゃった時に、巨人軍・阿部慎之介(捕手)と居合わせました。元々野球ファンの勘九郎さん、とてもうれしそうなお顔でした。

その後、もう一度パーティー直前に仕上げの往診をしたときにも、いつもにこにこ。開会2時間前だというのに、オークラ・平安の間には並べ切れない花の山がつづき晴れ着の女性たちが並んでもうそこは春爛漫でした。これも勘九郎さんのお人柄でしょう。

日曜の夜はラ・サール石井さん・小倉久寛さん・山口良一さん三人だけ出演の「なかよし」を新宿で観ました。小倉さんは以前から患者さんで親交を温めています。どんなに忙しくても小倉さんの劇はエキセントリック主催であれ、必ず拝見させていただいております。劇は高校時代のバンド仲間が30年ぶりに小倉さん経営の小さな中華料理店で、偶然?に再会する場面から始まる。ベンチャーズをずうっーと愛して、一生懸命怖い奥さんを大切にしながら、生きている中華料理店の店主・小倉さん、昔からずうーと地元で、奥さんに先立たれ娘を二人養いながら、電気屋を営む山口さん、そして詐欺師になりさがったこの中では一番もて男役のラサールさん。そしてドラムを叩いていたもう一人のメンバーはすでに死んでもうこの世にはいない。当時のドラムがテープに残っていて、そのリズムが彼らを楽しかった高校時代にタイムスリップさせる。

30年のそれぞれの人生を歩み、ベンチャーズを演奏しながらこれからの人生を思う本当にこんな連中、日本のどこかに一杯いるんだろうなあと思える設定でした。劇はもちろんこの三人だけの出演ですから見事に演じて、2時間という時間はあっという間に感じました。

僕にも埼玉・熊谷高校時代「無二の親友」が出来てきっと、おれたち3人はずうーっと親友で生きていくと決めていました。しかし、美術部で油絵が大好きだった矢島はそれから1年後、自らの命を絶つ。絵画部で高1の夏合宿に行った鹿沢温泉の山々の美しさを自慢していたあの雪山の中で・・・17歳の本当に話にもならなかった短い人生であった。もう一人の仲間・小林茂雄と二人で仏壇の前で「矢島の大馬鹿野郎!!」と声を出して泣いた。

小林は意思を貫き、政治家になった。早稲田弁論部を経て、あの山口敏夫さんの秘書を経て東松山市議から県会議員に出る40歳の若さで胆のうがんになる。最初に診断したのも治療法もそして末期もみんな私が決めた。運命のいたずらか残った、たった一人の親友は、私の腕の中で息を引き取った。もう15年前のことである。今も長野県・菅平や関越高速で東松山を走りぬけるときには、あの吉見の百穴で青春を語ったあの風景を思い出し、矢島や小林に心の中で語っている。その後、彼らを越える同級生も友達も出来なかった。私にはベンチャーズを奏でる仲間はもういません。劇中の三人がとても羨ましかったです。

31日、今日が楽日のこの三人劇。本当に脚本はしっかり出来ていて、いまさらたくさんの人に観てもうらうことは出来ませんが、毎回感動することは、「小倉 久寛」という役者としての才能です。かっこいい俳優さんがたくさんいる中で、僕は小倉さんほど男を感じさせる役者さんはいません。その優しいお人柄、あの風貌、どじでおっちょこちょい役は地かしらと思うほどの名演技。さらにびっくりすることはあの毛むくじゃらの手と、誰より短い指先で見事にベンチャーズのリードギターを弾きこなしたのです。

今日の昼休み、銀座・山野楽器に行って「ベンチャーズ・ベストアルバム」を買って車の中で流しまくろうと思います。きっと、昨日の三人劇をいつも思いだし、天国の矢島や小林を思い出す時間を大切にしようと思います。

劇の後、お台場までアンタッチャブル柴田君の風邪の往診に駆けつけました。若者は40度近い高熱でも一生懸命仕事をしていました。月曜は早朝から雪のロケだそうです。今、輝く彼らの生き様も大変です。お笑いタレントといわれる若者は、みんな真面目、みんな一生懸命生きています。腰も低く、どんなに辛くても平気のへの字。

それぞれ生きている場面は違いますが、それらの生き様を観れる私は幸せな医者です。この感動を糧に大切に心に刻み、これからもわが道を歩きます。

投稿者 hiraishi : 11:12 | コメント (4231)

2005年01月11日

「歌舞伎座の中で」

お正月も明けると歌舞伎座新春公演で、銀座は大賑わい。歌舞伎好き人間には今年は勘三郎襲名披露が始まり、たまらないシーズン開幕といったところ。

華やかな舞台と違って、今日は歌舞伎座の楽屋風景をお話しましょう。

正面入り口から左の昭和通りに面して駐車場の入り口の脇に楽屋入り口はあります。下足番のおじさんはどんな寒い日でも粋なはっぴを来て、軽く会釈してくれる。「お医者さん?」てな感じで、そのまま入んな!と手招きする。

すぐ右のカウンターに出入りを記す到着札みたいなものがあり、まあここにも伝統役者さんらの名前がずらり並ぶ。

廊下にはお祝い酒や胡蝶蘭の鉢が並びいっそう華やかさを増す。古い学校の校舎を思い出させるような木の廊下を進むと、小さな楽屋部屋がつづき20mほどで突き当たり。今年は正面に中村福助さん・松本幸四郎さんの楽屋が並ぶ。幸四郎さんの入り口は桜をあしらったのれんがかかり、楽屋は入り口・小部屋・大部屋の2DKタイプ。

2階の玉三郎さんのお部屋は座長らしく一団と大きく、十畳と四畳半にお風呂はついて、きれいに整頓されてさすがに気が通っています。

みなさん、にこにこ礼儀正しく、目上の方を「お兄さん」と呼び、小またでそさくさと歩く。無駄口も叩かず、笑いながらもせず部屋から部屋への移動はまるで舞台の歌舞伎そのもの。

建物がさすがにふるく、楽屋も古いので冷暖房が十分ではない。とくに冬はお一人が風邪をひくと、みんな仲良しなんでみんなに移る。まるで絵に描いたように次は誰かな?というようにみんな仲良しこよし。可哀想なようで、結構こっけい。

ただそこの空間にいるだけで、歌舞伎役者さんになったような気分になるのは伝統芸能のなせる業か、僕が単に歌舞伎好きなのか?

でも役者さんの仕事は、たぶん芸能人の中では一番大変な世界で、バラエティーの人たちが寒空で裸で演技したり、いじめ合うのも大変でしょうが(暮にはナインティーンナイン岡村くんも40度近くの高熱でも一日も休まず、仕事をやり通した)、しかし歌舞伎役者さんの苦労は並大抵のものではないでしょう。演技を憶え、せりふを憶え、仕来たりを身につけ、歌舞伎界の世界に生きる術を学び、それはそれは大変だと思う。

楽屋入りは毎朝10時、舞台がはねるのは夜9時ごろ。福助さんは新橋演舞場一舞台掛け持ち。化粧を落とし、また塗っての繰り返し。昼と夜の間にばったり楽屋に倒れこむ姿は全身全霊消耗している姿でしょう。

子役はもっと偉いかも。3歳くらいから幼稚園に通い、小学校の勉強や宿題をしながら、お父さんの演技を観て育つ。

福助さんの長男くんは流行り風邪でうなされながら、痛い注射をしてお腹の調子も悪いのに「学校へ行きたくない。塾に行きたくない。練習に行きたくない」なんてレベルではなく、彼しかいないという立場を小さい時から身について、あの体調の悪さで舞台の中央で1時間半黙って座りつづける役をこなす。9歳の男の子、文句ひとつ言わず・・・。幕間のわずかな時間に買ってもらったゲーム機で興じる姿は、そのへんの子供と変わらないんだけど。

でも元気な時は僕の助手をしてくれる。注射器やアンプルを往診鞄から探し出して、「はい、財前教授!」なんてテレビのシーンを真似て手渡す。他の楽屋に移動するときは「教授回診で〜す」といいながら、「白い巨頭」のテーマ音楽を歌っている。裕次郎の「弟」のシーンを口真似たり、可愛いのなんの、まさに蛙の子は蛙。

そんな中で貴重な感動を経験したのは、あの勘九郎さんのにんにく注射シーン。

幕が明いて、次の出番5分しかないときの「先生、僕にも注射してもらえる?」といつものように物静かに聞かれた。「もちろんですよ。今しましょうか?」「そうだね、していただこうか!」とうれしそう。

すぐに作った「清原スペシャル」(100個入りのニンニクプロ仕様)、楽屋の椅子に腰掛けた勘九郎さんは、じっと目をつむって静かに静かに、注射を受けた。臭い!とか、痛っ!とかまったくピクリとも動かず、ただじーっと目をつむって、注射を受けていた。静寂の5分間。沈黙の5分間。

「勘九郎さん、終わりました!」そう言葉を掛けるやいなや、すうっと立ち上がって、足を掏るようにそのまま舞台へ。すでに歌舞伎の世界へ入っていた名優勘九郎さん、

その存在感に久々、全身鳥肌がたった思いでした。

今年3月からいよいよ3年間の勘三郎襲名披露がスタートします。全国の歌舞伎ファンは必見の舞台がつづく。私も出来る限りの勘三郎一座の健康管理に全力を傾けます。

そんな僕ら下働きのスタッフでも血 沸き、気 踊る想いが「襲名披露」なんです。

あの尊敬する勘九郎さんがあの勘三郎さんが、私の大切な患者さんです。そして芝玩(しかん)さん、橋之介さん、福助さん、七之介さん、獅童さん・・・みんなが支えてます。

投稿者 hiraishi : 11:51 | コメント (17077) | トラックバック