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2004年11月25日
清原君、巨人残留決定の日
最近、食欲もなくめっきりやつれた清原君、家の前には新聞記者が暗闇の中にうろうろしどこからともなく視線を感じる毎日でした。
きっと亜希さんも日々のお買い物も不自由していると思い、このところ食事の材料ぐらいはと頻繁に差し入れしていました。
その日は、たまたま新潟・栃尾名物の油揚げを戴いたので、「昔、上杉謙信が戦場でいつも勝ち運をもってくる栃尾の油揚げを食べたそうな、・・番長にも食べさせよう」と前日湯河原で買い揃えた鯵の干物を添えてクリニックが終えたその足で自宅まで届けた。
ピンポーンの音にちょうど晩御飯支度の奥様がいつものようにエプロン姿で出てくる。
「なかなかお買い物も出来ないでしょ?」と聞くと、今日はついになんにも無くなっちゃんたんで思い切って行って来たのといつもの笑顔。
美味しそうという笑顔の向こうからいつにも増して笑顔が光る「実は、・・・」と中の番長を気にしながら「巨人に残れそう・・・!」と小声で教えてくれた。僕は思わず彼女の手を両手で握り締めうっすらと涙が浮かんだ。良かった!!
この1ヶ月、事実清原はまさに「ラスト・サムライ」と自分の事を称するほど討ち死に覚悟であった。2000本安打を放ったほどの名選手を巨人はまさに2、3年程度の選手の扱いであった。PL卒業時のドラフ事件(あえて事件と)、恋焦がれて入団した最初のFA年度、そして次のFAすべて巨人は清原和博という現代の一人のヒーローを、一選手としてそのたびに彼の存在をないがしろにしてきた。うそで固め、自分の都合のいいように周囲に圧力を掛け、平気で人を切ってきた。
正直、巨人に残れないときに清原君は球界を退団する覚悟は出来ていた。「今日の清原君はどうでしたか?何か話しませんでしたか?球団とは秘密に会ったのでしょうか?」毎日10本以上の取材の電話が入った。月曜の夜は名古屋への新幹線車中に全TV局とスポーツ新聞記者から電話が入った。夕方点滴をしたそうですが、様子は?明日のファン感謝デーには出場しますか?ずうーと対応しているうちに浜松まで行ってしまったほどであった。
その間、「蟻、象を噛む!」と言っていたころはまだまだ余裕があった。
やがて「今や戦いは対堀内から、対巨人、対読売、あの大読売に移った」などど人事のように皮肉ったりした。しかし巨人への思い、大好きな巨人で野球をしたい、単純に好きなチームで自分にも挑みたいと、まさに心は野球少年に戻っていた。
周囲の興味本位の追っかけや取材に食欲の無くし、「チームも決まらないでトレーニングなんか出来ませんよ」と嘆く彼は1週間で3Kgやつれた。実際にお知りも小さくなって、思わず僕が笑うと苦りきった顔をして答えた。
そして「ラスト・サムライ!」ですよ。あの最後の戦いの行く心境ですとも言っていた。
巨人に残れなければたとえ500号ホームランまであとわずかというこの時点で、彼はユニフォームを脱ぐのでは・・・と心配もしていた。事実今の体調、コンディションは近年絶好調で、体の具合も完璧といって良い。まだまだ2.3年球界で華々しく戦う自信はあるという。親友の和田アキ子さんにもまだまだやれる自信はあると話したそうだ。
同じ大阪出身の彼女のことは大変尊敬していて、若いころからずいぶんお世話になったのだろう、彼女が急病で大変なときも何とか往診して!と懇願してくるほど大切な存在である。そんなアッ子さんからも清、巨人に残れ!と何度も言われ残れないなら辞める、いわば討ち死に覚悟のぎりぎりの交渉であった。途中熱心に移籍を誘ってくれたORIX仰木監督にも事情を説明してきっぱり断った。
まさに筋を通した清原、侍のように頑なまでに筋を通す清原の姿にファンの怒りと声援は23日東京ドームで爆発した。堀内監督の挨拶はまったく聞こえないほどのブーイング。
そして鳴り止まない「清原コール!」熱狂的な僕の友人は300人引き連れて最後のチャンス、皇国の戦いこの一戦にありと言わんばかりにわざわざ徹夜して、ドーム前に番長軍の陣を張った。署名運動し、気勢を上げて一気に会場へ踊りこみずうっと清原!清原!と大の大人が大声でわめき続けた。その熱狂と大声援に球団関係者はとくにお偉い人たちはあまりのファン指示に驚いたに違いない。夜の一般ニュースにも取り上げられまさに清原軍の大勝利であった。たかが選手、たかがファンといったオーナーやフロントの安易な態度に、たじろぐ事もなく刀一本で戦いに挑んだ清原君のオーラは、衰退しつつある日本プロ野球界を救える唯一の武将かもしれない。
かって長嶋さんの軽快な言葉に一喜一憂したり、王さんの黙々と努力する真摯な態度に 尊敬の眼差しを送ったファンを無視してたり、選手からの絶大な信頼を集めた原監督の熱意を無視して、小さな言葉のあやを逆手にとって突然解雇する会社の姿勢にもうファンは飽き飽きしていた。そこに来て「負けたら来年は辞める!」と公言する無能な監督の自信の無さ開き直りにファンはただただ呆れて、じゃあ一生懸命応援する俺たちは何なのさ?という迷いの中に一人戦う清原にまさに男を感じた、皆が強い男を感じたと思う。
昨今自信のない人間が多いこの時代に、まざまざと生き様をさらす清原に來シーズンも 東京ドームは「キヨハラ!キヨハラ!」と大声援で、tonboの歌に乗って包まれることになりました。声援してくださった清原さんに代わってお礼申し上げます。
来年の宮崎キャンプにもにんにく注射を持って、番長の肉体改造を続行します!
投稿者 hiraishi : 09:10 | コメント (1441) | トラックバック
2004年11月19日
藤井寺球場
あさ、9時のANAで大阪・伊丹へ。普段はそこからいつも決まった運転手さんのハイヤーで市内に入りますが、昨日は初めての球団ということもあり、空港からリムジンバスであべの(天王寺)までのろのろと行った。
その朝、5時まで原稿を書いていた私は、高速道路の渋滞と見慣れた大阪の景色のためか、すぐに寝入ってしまった。やがて50分もかかったバスは天王寺駅前に到着。重い荷物を持ちながら、地下へ。
初めての近鉄あべの駅で言われたとおりに天王寺〜藤井寺まで準急で乗り継ぐ。
途中、石神君(楽天イーグルス)からいまどこですか?と電話が入る。約束の11時をとっくに過ぎ、僕はまだ電車の中・・・。
やがて車窓から見えてきた「藤井寺球場」、うわさには聞いていたが実にきたない、おらが街の野球場。駅前から歩いてもわずかな距離のスタジアムも時間を押しているためにタクシーで2分で到着。
チームが出来て最初のキャンプから全選手全コーチの血液検査を決めるのは本当にうれしい話。血液検査はいまやスポーツの上達、チーム作りにはかかせない重要な項目。
早速、地下の食堂ですぐに採血開始。今か今かと待っていた投手陣、こわがる選手。
みんな先月出来たばっかりの新チームなんで、お互いを呼ぶのもぎこちない雰囲気。
「高橋さん」なんちゃて、さん付けで呼んでました。しかし、中でも印象に残った選手ももちろんいる。運気の良さそうな顔をした選手、一度はテレビで観たかな?という選手、負けん気の強よそうな選手、そしてまだまだ自信無さげな選手。
しかし、選手はみんな真面目で野球しか知らない雰囲気であった。ちょうど10年前の日本ハム(白井・西崎・田中・田村・川野さんらがいたあのころ)のベンチの雰囲気であった。こんな優しい真面目な選手団で本当に勝てるのかな?こんなムードを思い出す。
そして田尾監督登場、もちろん初対面。いや〜真面目な優しい監督でした。プロ野球
ニュースや解説で理論派であることは重々承知していたが、まさに球界の紳士。赤坂・中国料理「ユーロン」の鈴木さんや駒沢大学・太田監督からの「体に気をつけて」「頑張れよ!」と預かったメッセージを伝えると、早東京の懐かしさを笑顔で受けてくれた。「いいよな〜、今が一番うまい時期だよな〜!」
採血とニンニク注射が終わって振り返ると、食堂にはお弁当やおにぎり、パンが机にたくさん並べてあった。
「ああ、ここにはたくさん食べ物があるぞ〜!食べていいかな?」「選手はみんな食べたのか?」と気使いながら、遠慮がちに手を伸ばす。
長嶋監督のように「いや〜、うまそうなパンだね〜!」美味しいところの真ん中だけ食べて行っちゃうのとはまるで反対。
心の隅々まで今年大騒動に巻き込まれた近鉄・ORIXの選手たちの傷ついた心を癒そうとする真摯な態度におもわず、「田尾さんが巨人の監督ならなあ・・」と本音を漏らす。今ごろ番長はなにしてるんだろう・・・。
夕方、やっと全選手の採血も終わり、最後は山下ヘッド・駒田バッティングコーチで終了。「結果はいつ出るの?」「来週月曜には・・」「選手には結果のいいところがあったら励ましてあげてね!」というあの大きな体の駒田さんの優しい心遣いに、楽天イーグルズには田尾イズムが十分浸透していました。
帰途は地元大阪初芝橋本高校野球部・竹野監督さんがわざわざ伊丹空港まで送って下さり、やっとのことで予定の便に飛び乗った。右手親指の腱鞘炎の痛みをさすりながら・・・。「いつの日か、杜の都・仙台で優勝パレードしたときには今日のあの薄暗い食堂の採血の日を想いだすことだろう・・・」
羽田空港から かっての近鉄の英雄「カズ山本」に電話した。「カズさんおれ、今日藤井寺に行ったよ。いや〜汚い球場だったよ。カズさんがここで10年も15年も野球やってたんだと思ったら、涙が出たよ!」と久しぶりに北九州に引っ込んだカズと話す。電話の向こうから相変わらずの大声で笑っている。
「見た?ロッカールーム?マッサージルーム?食堂?見た、ベンチ?トイレ?見た?きったないでしょう!!!」「いや〜噂には聞いてたけど凄いね。」
「あんなところで世間のことなんも知らずに野球ばっかやっとんたんよ〜!!」「近鉄バファローズなんて無くなって当然のチームというか会社だったんですよ」
「入り口、見た?あそこの小さなほったて小屋で2軍の契約更改してたんよ!」と、すっかり小倉弁に戻ったカズは元気そうに答えた。
あれがあいつの人生だったんだ。あそこでカズは必死に生きていたんだ。あんな小さな球場から、野武士軍団といわれた連中や、かってのマニエルが何本もホームランかっ飛ばしたか感慨無量の光景であった。
そしてあの熱い近鉄ファンの叫びもまさに本物であった。おれたちの街の野球チーム。
きっと勝って飲みに繰り出した選手たちを温かく包んで労をねぎらったことだろう。
やれ今夜は銀座だ、六本木だというどこかのチームとは所詮、年俸も暮らしも違ったのだろう。カズが現役時代「東京の飯は旨いなあ!」と
パクつく姿を思い出す。とつぜん首都高速の窓に映るお台場の夜景を観ながら
「カズ、お疲れさん!お前は偉かったなあ!」と涙をぬぐった。
投稿者 hiraishi : 17:15 | コメント (859) | トラックバック